室町時代後期の大名である島津忠昌は、薩摩国を治める島津氏の第11代当主。初めは出家していたが、文明6年(1474年)に還俗し家督を継いだ。その治世中、桜島の噴火による農地荒廃や家臣間の争いが続き、薩州家や豊州家との内紛が激化。文明9年(1477年)に一族との和睦契約を結び、守護の地位を維持したが、権力は抑制された。文化面では桂庵玄樹を招いて薩南学派を築き、琉球や李氏朝鮮と貿易関係を推進。永正5年(1508年)、島津氏の内乱に苦しみ、自殺した。享年46。忠昌は軍事よりも文化における功績が際立っている。
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島津忠昌の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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