室町時代の守護大名である立久は、薩摩・大隅・日向の守護を務めた。父・忠国と家臣の対立を背景に、長禄2年(1458年)頃から重臣の支援を受けて父を追放し、事実上の守護として統治を始める。日向の伊東祐堯と和睦し、薩摩・大隅に専念した結果、領内は平穏を保った。兄弟を要地に配置し、一族や重臣達の配置換えを行って地位を安定させた。琉球や李氏朝鮮とも交易を展開。応仁元年(1467年)の応仁の乱で東軍に名目上の味方をしたが出陣せず、叔父の豊州家は西軍に味方した。文明3年(1471年)には桜島が噴火、領国経営に影響を与えた。文明6年(1474年)に43歳で死去し、嫡男の忠昌が後を継いだ。
主な祖先
島津立久の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











