豊後国岡藩の第8代藩主として、享保9年(1724年)に生まれる。寛保3年(1743年)、岡藩第7代藩主の死去に伴い養子として家督を継承。藩政改革に取り組み、農村振興や不正取り締まりを進めたが、天候不順や大水害、大火など度重なる災害に見舞われ、藩財政は悪化した。老中就任を目指し運動資金を幕府に供出したことも財政難に拍車をかける。天明6年(1786年)から財政改革を試みるも効果は薄く、寛政2年(1790年)に67歳で死去。文治教育の普及や窮民養成所の創設にも尽力した。世子の選定には苦労し、跡を継いだのは久遠の弟である久持。



