江戸時代前期から中期にかけての大名。備後国三次藩の第3代藩主を務めた。天和元年(1681年)、徳川綱吉に初御目見する。叔父で第2代藩主の浅野長照が病弱だったため、天和2年(1682年)に養子となり、元禄4年(1691年)に家督を継ぐ。元禄11年(1698年)、福山城の受け取りを命じられる。元禄14年(1701年)に赤穂事件で親戚の浅野長矩が切腹すると、正室の阿久里を引き取る。謹慎を命じられたが、宝永4年(1707年)には江戸城の普請で功を立てた。享保3年(1718年)に三次陣屋で死去。享年48。鳳源寺に葬られた。
主な祖先
浅野長澄の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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