南北朝時代の皇族で、北朝第3代崇光天皇の第1皇子。応安元年(1368年)に親王宣下を受け、栄仁と命名された。祖父の光厳法皇は、皇位継承のために栄仁親王を出家させようとしたが、崇光上皇は栄仁親王の即位を望んでいた。応永5年(1398年)に崇光上皇が崩御すると、同年に出家し、法名を通智とした。所領をめぐる争いもあり、後小松天皇により所領を没収されるが、後に一部が返還される。応永16年(1409年)には伏見に戻り、伏見宮の起源を形成した。また、琵琶や和歌などの芸能にも優れ、伏見宮家の楽道の基礎を築いた。応永23年(1416年)に65歳で薨去。
主な祖先
伏見宮栄仁親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















